パラスポーツ

【第1回】パラスポーツってなんだろう

急に始まりましたね,この企画!
MUDA

私もパラスポーツに関わらせていただくことがありますが,なんといっても人生の学びが多いんです!東京オリパラで注目が集まり,目にする機会が増えたと思いますが,まだまだ皆さんと魅力を共有していきたい!!MUDAさんお願いします!

パラスポーツに関する一般的な話からちょっとマニアな話まで役立つ情報を発信できるよう頑張ります!!
MUDA

本日の話題:パラスポーツの誕生について

 

日本でパラスポーツ関係の勉強会や講習会に参加すると1度は耳にする,ルートヴィヒ・グットマン 博士と中村 豊 先生!!
ルートヴィヒ・グットマン 博士はパラリンピックの父中村 豊 先生は日本のパラリンピックの父といわれるほどの有名人であり,この二人がいなければパラスポーツ(障がい者スポーツ,アダプテッドスポーツ)という言葉は現在も日本に浸透していないのではないかとさえ思うことがあります.
(紀元前300年頃に行われていたという記録もあると講習会で聞いたことがありますが,詳しいことはわからないみたいです…)
今回はそんな2人から始まるパラスポーツの歴史に少しふれてみましょう!

ちなみに,パラスポーツ以外にも障がい者スポーツ,アダプテッドスポーツなどの呼び方もありますがこのブログではパラスポーツを使わせていただきます.

世界でのパラスポーツの始まり


私も理学療法士としてリハビリテーションプログラムの中にレクリエーションスポーツを取り入れることがありますが,パラスポーツの始まりもやはりリハビリテーションです.当時は第二次世界大戦(1939~1945年)により負傷した兵士の社会復帰の手段として用いられており,スポーツは医療の現場の中で昔から非常に重要な位置づけであったと推測されます.

そして、パラスポーツの話を歴史を学ぶうえではずせないワードはイギリスのストーク・マンデビル病院となります.
今でこそ障がいの有無に関わらず,みんなが行えるスポーツとして広がってきたパラスポーツですが,始まりはストーク・マンデビル病院で脊髄損傷患者の社会復帰の手段に用いられました.
さて,ストーク・マンデビル病院がなぜ急に出てきたのかというと,初代科長がルートヴィヒ・グットマン 博士なんです!少し繋がりましたか?
グットマン 博士は1945年からスポーツを治療に用いるという当時では珍しい取り組みを行いました.その後,車いすのポロや卓球などの導入も進めていき,脊髄損傷患者の社会復帰に貢献していったのです.

せっかくなので私の心に刺さったグットマン博士の言葉ベスト3をどうぞ

心に刺さった言葉ベスト3
  1. 失ったものを数えるな,残されたものを最大限に生かせ
  2. いままでにも何人もの日本人がやって来て,みんながここのやり方を真似したいと言って帰っていった.ところが,いまだに一人として実行していないようだ.
  3. スポーツの目的は,障がい者とそのまわりの人々とを結びつけることである.つまり,障がい者を社会に再融和または融和させることである.

振り返らずに前へ進むこと,0を1にしそれを継続すること,スポーツというもののあり方を深く考えさせられる非常に好きな言葉です!

その後,少しずつ取り組みは広がっていき,1948年のロンドンオリンピックの開会式の日にはストーク・マンデビル病院で車いす患者によるアーチェリー大会が開始されました!
1952年(ヘルシンキオリンピックの年)まで毎年開かれてきた同大会はオランダの開催で時代が大きく動き始めます.まずはこの大会が国際大会へと発展を遂げ第1回国際ストーク・マンデビル大会となったのです.
その後,1960年にイギリス,オランダ,ベルギー,イタリア,フランスの5ヵ国が国際ストーク・マンデビル大会委員会を設立しより大きな広がりを見せます.この委員会は「オリンピックが開催される年に実施する大会だけは,オリンピック開催国でオリンピック終了後に実施したい」という旨を表明し,見事ローマオリンピック終了後に国際ストーク・マンデビル大会が開催されたのです!!そして,これが後の第1回パラリンピックとして認識されることになりました!!
ちなみに第1回の参加国は23ヵ国,400名のようで,2016年に開催されたリオデジャネイロパラリンピックが159ヵ国,4300人以上ということを考えると60年弱ですごい広がりを見せてきたことが良くわかると思います!

日本でのパラスポーツの始まり


"いままでにも何人もの日本人がやって来て,みんながここのやり方を真似したいと言って帰っていった.ところが,いまだに一人として実行していないようだ."
この言葉をグットマン 博士から伝えられそれを1つの形にした人物こそ中村 豊 先生です.坂本龍馬や織田信長など歴史を変えた名だたる日本の偉人がいますが,私としてはパラスポーツの領域においては中村 先生ではないかと思っています.

1960年,当時33歳の中村 先生が国立別府病院からリハビリテーション研究のために留学した先で出会ったのがグットマン博士です.
中村 先生は患者が少しでも動けるようになれば,スポーツをさせるというグットマン博士の「手術よりスポーツ」という方針とそれによる社会復帰効果に衝撃を受け,日本に持ち込もうと決意したようです.

1960年の日本のリハビリテーションといえば,障がいのある患者さんに運動をさせることは否定的でした.そのため,中村 先生は多くの反対意見にさらされながら障がいのある患者さんへのスポーツ活動の普及を進めることになります.
「障がい者をみせものにするのか」という批判にさらされていた話は有名です.この言葉からも日本の障がい者のスポーツ参加に否定的であった時代ということが良くわかります.
それでもめげない中村 先生は活動を続けていき,1961年に大分で日本初の障がい者スポーツ大会を開催するにいたりました.
私はこれだけでも大きな功績だと思うのですが,やはり当時の周りの目は厳しく批判的な意見を言われていたようです.
ここまでくると,もはや心おれそうですよね…

しかし,中村 先生の情熱はすごく
"日本人は地方で行われることには関心を示さないのに,欧米で行われたことになると,やたら大騒ぎをする.ならばいっそのこと欧米の大会に出てやろう"
と考えたようです.

ここでグットマン博士がスタートさせた国際ストーク・マンデビル大会が登場します.中村 先生は1962年の国際ストーク・マンデビル大会に2人の日本人選手を連れていくことを決めました.
この時の選手派遣資金をつくるために中村先生が自分の車を売ったことは有名な話です.

この大会はアジアから初の参加となり世界からも注目をあびた一方で,日本人選手と海外の選手の圧倒的な能力の差を感じたそうでが,この大会参加から徐々に風向きが変わり始めました.

1963年のパラリンピック国際会議で日本は理事国に選ばれ,「東京オリンピックの時にパラリンピックも東京でやれないか」という議案に中村 先生が挑戦する形となったのです.
中村先生はパラリンピックを東京で実現させるため,当時の厚生労働省などにパラリンピック開催のことを説得しに動きました.しかし,パラリンピック開催への反応は良くなかったようです.

様々な関係機関や人を説得している中で出た言葉の中に
"東京オリンピックの後に東京パラリンピックを開催できないとすれば、福祉国家ニッポンの看板は国際的にみて偽りになりますよ"
という言葉があるようですが,ここまでの情熱を傾けられる中村医師には,個人的にですがもはや尊敬の域に達しています!!

このような取り組みもあり,1964年に東京パラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会,国際ストークマンデビル競技大会)の開催に無事こぎつけました.
これは欧州以外で開催された初めての国際ストークマンデビル競技大会とされており,22ヵ国,約400人の選手が参加する成功を収めたのでした.

中村 先生はこの大会で日本選手団の団長を務め日本パラスポーツの歴史に大きな1ページを残したのです.

余談

この当時の日本は障がい者が外出することもほとんど考えられない環境でした.そのため,日本からも53人の選手が出場していたのですが生活が自立していた選手は5人だけという現実問題もあったようです. "スポーツの目的は,障がい者とそのまわりの人々とを結びつけることである.つまり,障がい者を社会に再融和または融和させることである."この言葉は当時非常に大切な考えであったが実現が難しいのも事実であったこと,しかし解決しなければならない大きな問題であったとよくわかります.現代においてもまだまだ不足している部分や改善が必要なことが多いと思います.

今回は,第1回ということでパラスポーツの歴史について記載させていただきました.このような先駆者の話を聞くだけでも楽しいですね!聞いたことがある人もない人も最後まで見ていただきありがとうございます!
MUDA

勉強になりました!!心に刺さった言葉ベスト3は普段の生活にも役立ちそうですね!!

次回からは最新のパラスポーツの文献の紹介や競技の紹介,パラスポーツの一部の競技にあるクラス分けの話題などを中心に進めていければと思います!
MUDA

パラスポーツに興味を持った方へ

【日本のパラスポーツの歴史がもっとわかるおすすめの本3選】

特に"パラリンピックとある医師の挑戦"は某テレビドラマの元となった話も書かれているので初めての方にはお勧めです!

参考資料


・公益財団法人日本障がい者スポーツ協会:「障がい者スポーツの歴史と現状」(最終閲覧日:2020年5月16日)  https://www.jsad.or.jp/

・「日本のパラリンピックを創った男 中村 裕」鈴木款 講談社 2019年

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